なぜ消費者の方が偉いのか
批判するのは非効率的だと気づくべき
コンビニでバイトをしているが、苦情をよく聞く。
批判するのは非効率的だとみなわからない。
先週、オーストラリアへ行ってきた。
そこでの、同級生(ピチピチJK)が話していたことについて考えてみる。
JK:「普通卵とジュース一緒にしないでしょー最悪!しかも縦だよ。」
この方は実際に店員に文句を言っただろうか。
いや、言ってない。もちろん英語ができないからだ(笑)
この場合、何が良かったか?店員さんが良かっただけではない。JKも良かった。
もし流暢ではない英語で批判して、店員もイライラするだろうし、伝わらないことでJKもイライラするかもしれない。
まとめ:
「批判は、双方ともにマイナスである。」
批判は何も産まない
ではどうするべきか、私も卵を縦にはしないが、上にジュースを置くことはある。
なぜか。忙しいからだ。
後ろに何十人並んでるのにもう一枚袋を出して、ジュースを入れるのは実際には短い時間だが、
何十人もいる中で、なるべく時間を節約したい心理状態では長いといえる。
そのことにイライラするお客さんはこう言うだろう(実際にいた事はない)
「卵あるだろ、別ー」、「ジュース上に置くか?」、「それ潰れない?」
批判をなくそう。非効率的だ。
「ジュースは手で持ちますよ。潰れると行けないので。」
まとめ:
「批判ではなく、提案をしよう。」
批判に対して不快になるべきでない
コンビニ店員も、文句を言われるとイライラする。
コンビニ店員ではなくてもイライラする。
僕もイライラはする。でもイライラするべきではない。
悪質な場合を除くが、建設的な意見として受け止める。
文句があるということは、こちらが不快にさせたのだ。
まずは謝ろう。そして、その意見に感謝をしなければならない。
例えば、卵の例で、
「卵あるだろ、別ー」、「ジュース上に置くか?」、「それ潰れない?」
「そうですね。」
ではなく、どうするべきか、
「ジュースは手で持ちますよ。潰れると行けないので。」
「ありがとうございます。」
これだけでいい、「ありがとう」と言われて不快な人はいない。
まとめ:
「批判は非効率的だが、批判されて不快になるはもっと非効率的だ。批判は建設的な意見である。」
だからといって生産者が偉くなってはいけない
長いので割愛
もう少し生産者に傾けるべき
なぜ消費者庁があって、生産者庁はないのか。
消費者が偉いから、生産者は無理をする。
値段を下げるために、無駄を省く。
アルバイトで、賃金を省く。質の低いものを使い材料費を省く。オフィスの暖房費を省く。
それで、なに?罰せられるのは生産者?面白いシステムだと思う。
生産者を補助すれば、対応の質が、商品の質が良くなり、
結果的には、消費者も恩恵を受けるだろう。
(というのは夢を描きすぎてるので、いろんな観点から考えてもらいたい。)
汎用的にまとめよう。
まとめ:
「悪いことを罰するのではなく、良いことを褒める。」